ホレンコの友 2018年11月号

          「試練を喜ぶ(ヤコブ 1:2〜8)」
                       日本基督改革派札幌教会牧師 貫洞賢次 

「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2)喜べと言われても、単純に喜べないのが試練です。では、どうやって試練を喜べるというのでしょうか。
 「あくまでも忍耐しなさい」(1:4)と続いています。そして、その忍耐には約束が伴っています。「そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。」(1:4)信仰の試練は神様と共に立ち向かう試練です。もちろん、自分の試練ですから、自分に代わってほかの人に苦しんだり悩んだりしてもらうわけにはいきません。その意味ではやはり孤独を感じますが、その本質において、信仰の試練は孤独ではありません。試されているのは、神様と自分との関係だからです。もっとそれが確かで、豊かなものとなるために。
 ヨブがその試練の中で忍耐していたとき、妻も友人たちも彼を理解してくれませんでした。その意味で、とても孤独でした。しかし、それでも、ヨブは神様を求め続けます。「わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。わたしは神に向かって申し立てたい。」(ヨブ13:3)どんなに試みられても、求め続けることのできる神様がいつも彼の前におられます。
 さらにこうも約束されています。「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。」(1:5)ここでいう「知恵」とは何でしょうか。「主を畏れることは知恵の初め」と教えられています。(箴言1:7)知恵とは、まず第一に主なる神をますます正しく知って畏れることであり、信頼することです。
 これはたいへんな回り道のように思われます。試練を抜け出す道を早々に知りたいと思うのが、人の素直な思いでしょう。しかし、ご自身の民に対して、主はこう言われました。「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。」(イザ30:15)「立ち帰って静かにしている」とは、何もしないということではありません。神様を求め続けて、その御心にかなう「あのこと、このこと」を行い続けます。そのようにして、試練の中でこそ、新たに神様を喜ぶことで日々支えられながら、救いを待ち望みます。
 「だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神」が、試練の中で私たちを一歩一歩教え導いてくださいます。神様が与えたもうた試練なら、必ずその苦しみと悩みには深い意味があり、たどり着くべきゴールがあります。
 

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