ホレンコの友 2020年10月号

               「造り主は養ってくださる」   
  
                日本基督教団北広島教会牧師 菊地啓示

神社に行きますと拝殿の前には賽銭箱があるものですが、かつてのユダヤの国でも、イエス様が足を運ばれたエルサレム神殿の境内には賽銭箱というものがありました。賽銭箱といってもその形はわたしたちが知っているような「四角い箱状」ではなく、ラッパが上を向いたようになっていて、硬貨を入れると音が鳴り響いたのだそうです。
ある日のこと、イエス様は高価な衣服を身に着けた何人もの金持ちたちが、庶民からすれば高額の銀貨や金貨をガラガラと音を立てさせながら賽銭箱に入れていたのを見ておられました。その音を聞いて「ああ、沢山入れているな」と、中には尊敬と羨ましさの入り交じったような思いで眺めた人たちも少なくなかったのではないかと思います。イエス様はまた一方で、あるやもめが当時一番値打ちの低いレプトン銅貨二枚を賽銭箱に入れているのも御覧になりながら、弟子たちに言われました。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた」。レプトン銅貨二枚というのは、今の100円から150円くらいの額ですが、それを「だれよりもたくさん入れた」というのはどういうことなのでしょうか。
 お金であれ、何であれ、献げものというのはすべて、神様に向かって献げるものです。けれどもその際、わたしたちの心がどのように神様に向いているかが問われています。イエス様は「あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金した」と仰います。高額の硬貨をガラガラと音を立てて賽銭箱に投げ入れてはいても、それは「有り余る中から」であって、彼らが賽銭箱に入れていたのは要するに「余り物」でした。多くの収入の中から、自分に必要だと考えるもの、自由にしたいと思うものを全部取り分けた後で、最後に余ったものの中から入れていたのです。
 では、貧しいやもめはどうだったかというと、イエス様は「この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れた」と仰います。彼女には余分がありませんでした。持っていたレプトン銅貨二枚がその日の生活費の全てです。その全てを掛けて(賭けて)造り主に依り頼みました。それは大変に重い信頼、全体重、全存在をもってする信頼です。神様は、「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46:3-4)と言われる造り主です。その御方に向かって、生活の全てを投げ込むように献げた彼女の思い切りの良さに、何か、活を入れられるような気がします。造り主はわたしたちをも丸ごと受け止めて、担い、救い出し、養ってくださる御方に違いないのです!

 

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