ホレンコの友 2019年11月号

              「生きるための逃げは有りです」
         
             日本バプテスト連盟 札幌バプテスト教会 副牧師 杉山望

 北海道の農業高校を舞台にした『銀の匙』という漫画があります。主人公の八軒君は、進学校での勉強についていくことができず、父親の期待に応えられなくて、中学時代はずっと否定されてきました。農業高校に進学したのも、そこから逃げためで、そんな自分自身に強い劣等感をもっていました。そんな彼に、校長がこのように語り掛けるシーンがありました。「八軒君は『逃げる』という事に否定的なのだね。逃げて来た事に負い目はあっても、その逃げた先で起こった事、そこで出会った人、それらはどうでしたか? 否定するものでしたか? 逃げ道の無い経済動物と君達は違うんですから、生きるための逃げは有りです。有り有りです。」
私たちはいつの間にか、「逃げたら負け」だとか、「逃げることは恥」だと思い込んでいないでしょうか。私自身、困難には立ち向かうことが唯一の正解であって、そこから逃げることは悪いことだと思っていました。確かに困難から逃げずに挑戦し、耐え忍ぶからこそ得られるもの、成長できることもたくさんあります。しかしだからといって、「いつ・どんなときも逃げてはいけない」ということが正しいとは言えません。
教会に来ているある学生が、学校でどれほど辛い思いをしていても、それを試練だと思って逃げずに頑張る、と話してくれたことがありました。逃げることは恥という意識は、いつの間にか植え付けられています。もしかしたら社会の中だけでなく、信仰においても逃げずに戦うことばかり強調してきたのかもしれない、と反省させられました。
確かに神様はモーセやパウロに語り掛けたように、逃げ出したいような困難に立ち向かわせることもあります。しかしそればかりではありません。注意して読んでみると、聖書には困難から逃げる人間の姿も書かれています。その逃げる人たちのことも、神様は一言も非難せず、恥だとも言わず、むしろその歩みに伴い、導かれていました。神様は私たちを励まし、挑戦させるばかりではなく、私たちが生きるために必要であれば、逃げることを受け止め、さらには逃げ道さえ用意してくださる方なのです。
「あなたがたを襲った試練で、世の常でないものはありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一10:13)             

  

 

 

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