ホレンコの友 2022年12月号

                       日本キリスト教団美唄教会 牧師 木村 拓己
             「サビキ釣りに垣間見たお弟子さんたち」

イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。ヨハネによる福音書21章10?13節(新共同訳聖書)

  

9月中旬のことになるが、子どもたちにせがまれて、初めて海釣りを経験した。以前新篠津での冬のワカサギ釣りを体験した際、三人の子どもの釣竿の餌つけと魚の口から針を外す作業に終始した苦い経験から、今回は経験者の助けをもらうこととした。日本キリスト教団美馬牛福音伝道所・旭川星光伝道所牧師の齋藤開・麻実牧師に留萌港近くに連れて行っていただいた。
午前3時30分、まだ暗い道を走る車に揺られながら出かける。徐々に白んでくると、稜線の輪郭が浮き出され、やがて日の出を見ることができた。非日常の光景に驚きつつも、目的地に着く頃にはすっかり朝になっていた。
さて、量販店で買った格安の釣竿2本に糸を通して、サビキ釣りに挑戦した。「この時期は鰯と小鯖が釣れる」と聞いたが、いざ始まってみるとかなり忙しい。私は滋賀県出身なので、小学生から中学生の頃には、琵琶湖や野池を自転車でまわりながら、バス釣りを楽しんだことはあったが、そんなのほほんとしたものではなかった。餌を撒くと、一斉に鰯や小鯖、時にはウグイの魚影が現れては、子どもたちの竿を引っ張る引っ張る。153匹とはいかないものの(ヨハネ福音書21章)、子どもたちは実に45匹もの魚たちを釣り上げた(これでも少ないらしい)。結局、冬の新篠津を彷彿とさせる忙しさの中、あっという間に終わった。
終わってみれば、まだ午前8時。なんと一日は長いんだ。みんなでお湯を沸かしてカップラーメンを食べたのも思い出深い。帰ると同時に、齋藤開さんはひたすら魚を捌き始めていた。その背中を眺めながら(自分は何も手伝えない)、復活のキリストに出会う場面、ガリラヤ湖で漁をしていた弟子たちもまたそうだったのではないかとぼんやり重ね合わせた。つまり、イエスが備えられた朝の食事という「束の間の出来事」を経て、弟子たちは再び日常という忙しさの中に戻っていったのだろう。しかし、そこでキリストと共に食べるという出会いに支えられて、弟子たちは新たな一歩を踏み出したのではないだろうか。
今回のなにげないお願いが、何倍もの豊かな体験となったことに感謝しつつ、自分の知らない世界、あるいは知ろうとしてこなかった世界がいつも私たちの目の前に広がっていることを実感した時であった。
アドベントの時を経て、クリスマスの時を迎える。御子の誕生という出来事を前に、私たちはどのように一歩踏み出すことができるだろうか。どのような新しさをもって、福音を味わい、また誰かと分かち合うことができるだろうか。

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