ホレンコの友 2019年10月号

                   「渇く」イエス
      この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。
                                 (ヨハネによる福音書19章28節)

                              日本キリスト教団栗山教会牧師 森 宏士
              

  イエス様は地上の生涯の最後、十字架の上で、「乾く」と言われました。
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4:14)と語り、多くの人々を潤したというイエスご自身が、最期に「渇き」を吐露されたのでした。

聖書をはじめて読んでみた時、イエスの姿や言葉に沢山の感嘆を抱きつつも、疑問や反感も持ちました。読み進めてみると、最後には十字架刑でのあっけない死…、しかも渇く姿。唖然としました。毒杯を勇ましく飲んで死んだというソクラテスや武士道の話よりもカッコ悪い…等とも、なぜこんな人を救い主だと信じる人がいるのかとも思いました。
けれども自分は、ソクラテスや武士のようにはなれなさそうだと、やがて思いました。万が一になれそうだとしても、その心の奥底にはどうにも大きな渇きが深くあるなぁ、と思わされるようになりました。
イエスは、その人間の深い渇きを、超然と乗り越えたお方ではなく、むしろ深くなめ尽くし、生き抜いた方でもあったのでした。
ご自身の命と愛(の水)を、注ぎ与え尽くして渇いたお方。渇きと苦しみを深く抱えざるを得ない人々の渇きを、共に負って下さった方でもありました。

信望厚く、その病の癒しを多くの人が祈り続けていたある人が、ついに最期の時を迎えました。彼の枕辺で、友の一人が嘆きました。「奇跡は与えられなかったのですね…」。彼はささやく事しかできなくなっていた声で、静かにはっきりと言いました。「いいえ、奇跡は起こりましたよ…」。彼の生涯を照らし出すような言葉でした。
「渇きと苦悩をたくさん味わわされる事もある生涯、それでもそこに神の、イエスの慰めや助け、伴いがあった。その事を見出す事が出来た。奇跡は起こったではないですか。こうして皆の助けの中で最期を迎える事が出来たことも…」。もはや多くを語る力が残されていない彼の、優しいまなざしに、皆がそう聞いたのでした。
困窮と対立と孤独がたくさん生み出されてしまっている私たちの世界に、一人一人に、主の伴いと助けを、祈り、求めてゆきたいと思います。

  

 

 

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