ホレンコの友 2023年3月号

             「主の御名はほむべきかな」

                   基督兄弟団札幌栄光教会牧師 上野謙一

 

今から五年前、私の教会に一本の電話がかかってきました。私たち夫婦は母教会が同じで、かつては一緒に賛美に関わる奉仕をしていたのですが、そのメンバーの一人でもあったある姉妹からでした。何とご主人の転勤で岩手県盛岡市から札幌に引越して来られて、新居も私の教会の近くなので、次からそちらの礼拝に出席したいというのです。
そして次の日曜日から、毎週その姉妹とご主人、そして五人のお子さんたちが礼拝に連なるようになり、小さな教会は一気に賑やかになりました。特にそのお子さんたちのほとんどが中高生・青年の賛美チームSalighT=iソライト 「地の塩」「世の光」を英語にして繋げた造語)のメンバーとなり、礼拝をはじめ様々な集会で活躍してくれました。
そして迎えた今年、チームとしての活動を継続し、新たなチャレンジもしていきたいと話し合っていた矢先、ご主人の大阪への転勤に伴い引越されることが決まりました。ご主人からの電話でその知らせを受けた瞬間、私は思わず「エーッ!」と叫んでしまいました。
ご主人はいわゆる転勤族ですから、いつかはその日が来ると心備えをしていたはずなのに、実際はまさに青天の霹靂でした。妻も相当にショックを受けているようで、先日、祈りの中で「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ一21)とのみことばを引用していたのがとても印象的でした。恐らく、その時の彼女の関心は「主は取られる」に向いていたのだと思います。
でも今、私は「主の御名はほむべきかな」の部分について深く考えさせられています。
神は生殺与奪の権を握っておられる絶対者であられると同時に、ご自分を、主イエス・キリストを信じる者を愛して止まず、尊く用いてくださり、決して最善以下をなさらない方です。
いつ、どのようにその最善がなるかはさておき、むしろ今そのただ中にあると信じて喜び、教会の皆さんとともに賛美したいと思います。

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