ホレンコの友 2024年5月号      「春の到来は、神のわざ」

    ごらん、冬は去り、雨の季節は終った花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。          この里にも山鳩の声が聞こえる。  (雅歌2章11〜12節) 

                       三浦綾子記念文学館 事務局長 難波真実

 北海道の5月は、ありとあらゆる生命の力が萌え出てほとばしる、まさに春ですね。長い冬を乗り越えてやっとつかんだ希望の光、それぐらいに思える、嬉しい季節ではないでしょうか。私など、「このままずっと5月が続けばいいのに……」と無茶な願望を抱いてしまうほどです。
 しかし今から98年前の1926年、春らんまんの5月24日。十勝岳が大噴火して泥流が麓に押し寄せ、大惨事となりました。フラヌイの原野を耕して田畑にすること30年。貧しいながらも暮らしがようやく安定してきた頃に襲った災害は、上富良野の人々に大きなダメージを与えました。わずか一瞬で、大切な人を失い、家屋も田畑も失い、絶望のどん底に叩き落された人々の、「真面目に一所懸命に生きてきたのに、なぜこんな目に遭うのか」というやり場のない怒りと嘆きは、百年経った現在の私たちでもかける言葉がないぐらい、身につまされます。今年の元旦は能登の地震災害があり、つい先日も台湾で災害がありました。これまでの大災害の例を挙げるまでもなく、いつどこで何が起こってもおかしくないのだと、あらためて思わされる今日この頃です。
 作家の三浦綾子は、泥流災害からの復興に尽力する上富良野の人々の姿を、旧約聖書のヨブ記を織り交ぜながら、『泥流地帯』『続泥流地帯』という小説に描きました。「なぜこんな目に遭うのか」という大きな問いに、私たち人間は答える術(すべ)を持ち合わせてはいません。この災害に限らず、因果応報で片付けることのできない人生とその凄まじいほどの困難にどう向き合うのか、それは人生を与えられた私たち一人ひとりが見出していくしかないのだと私は思います。
 けれど三浦綾子は、長い冬を乗り越えて春を迎える北海道の人々の生き方を、天の国を目指して地上の生涯を歩む信仰者の姿に重ねました。厳しい冬だからこそ、春が来るのをじっと待ち望む。春の到来こそ、神のわざであると謳(うた)った三浦綾子作品の主題を、5月が訪れるたびに私はじっと思い返すのです。

                   





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