ホレンコの友 2018年9月号

             「からし種一粒の信仰」
                     (ルカによる福音書17章5〜10節)
          
                                            日本聖公会 司祭 上平仁志

 イエス様は「からし種一粒の信仰」でも本物の信仰があれば奇跡さえ起こると言われています。福音書の中で、イエス様はこのように「からし種一粒」を信仰の力や神の国の広がりに譬えておられます。(マタイ13:31他)。辞典によると、これは「クロガラシ」の種を指すと言われています。
 ところで、イエス様がこの譬えをお話になったきっかけは、使徒たちが「わたしどもの信仰を増してください」とお願いしたからであります。それに対してイエス様は「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くだろう」と言われています。マタイやマルコの記事では、「この山に向かい『海に飛び込め』と命じても、そのとおりになるだろう」という言い方をしています。
 からし種一粒ほどの信仰でも本物の信仰がほしいと思います。いずれにしても、イエス様がこのような譬えをお話になった意味は、普通、わたしたちが常識で考えられないと思うことも本物の信仰があれば可能になると言うのであります。病気や障害、辛い思いをする困難の多い人生ですから信仰がなければ生きていけないと思うのですが、どうすれば本物の信仰を持つことができるのでしょうか。
 さて、ここで「使徒たち」(弟子たち)は「わたしどもの信仰を増してください」とお願いしています。よく、「あの方は信仰が深いが、わたしは弱いんです」と言ったりしますが、信仰を増すとはどんな意味があるんでしょうか。もともとは「かたわらに」「置く」という言葉の合成語ですが、文字通り、すでに持っている賜物に「信仰も追加して下さい」という意味になります。
 しかし、この場合「わたしどもの信仰を増してください」と言っているのは使徒たちですから、既に「信仰をもっている者がその信仰をもっと強くするために、『増し加えてください』とお願いしているのであります。
 ところが、イエス様のお返事は「信仰を増し加えてください」という使徒たちのお願いとかみあっていないように思います。すなわち「からし種一粒ほどの信仰」があれば、この桑の木に命じて、「抜け出して海に根を下ろせ」と言ってもそのとおりになるとおっしゃっているのです。つまり、イエス様は、あなたがたは信仰を持っていないと言われたのです。
 信仰は量の問題ではなくて「質の問題」です。「から種一粒ほど」の信仰でも、それが本物ならば不可能なことも可能になると言っておられるのです。



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