ホレンコの友 2017年10月号
                  
       「プリスカとアクラに、よろしく」
          
聖書 ローマ人への手紙 16章3節
                    日本バプテスト連盟苫小牧バプテスト教会牧師 田代 仁


このローマ人への手紙を書いたパウロと言う人物、皆さんはどのような人物と思われるでしょうか。キリスト教徒の迫害者として登場し、ダマスコ途上で回心し、3回の伝道旅行をした人。「伝道者」パウロ、「使徒」パウロ、あるいは「神学者」パウロ。彼の書いた手紙のいくつかは新約聖書にも納められています。その中でもローマ人への手紙は「宗教改革者」ルターや「20世紀最大の神学者」バルトに大きな影響を与えた、と言われています。すごい人です。
 そのパウロが手紙の中で「同労者プリスカとアクラとに、よろしく」と、ある夫婦に言及する個所が二箇所あります。(ローマ書と第一コリント、他に第二テモテにもありますが第二テモテはパウロ自身が書いたものではないと言われています。)アクラはパウロと同様にテント職人であったことから、パウロを一緒に住まわせて共に仕事をしていたようです。この夫妻については、使徒行伝18章にも登場していて、そこでは雄弁な伝道者であるアポロを招き、さらに詳しく神の道を説き聞かせたとあります。この夫妻はこのようにして伝道者を支えていたのでしょう。
 ところで、この夫妻が登場する使徒行伝18章では、この夫妻について「クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきた」と紹介しています。そうしてコリントの街でパウロと出会うのですが、その背景となったクラウデオ帝の「ユダヤ人追放令」は紀元49年頃に出されたもののようです。ところが、パウロが紀元56年頃に書いたとされるローマ人への手紙には「同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。」という挨拶が添えられています。すなわち、7年を待たずにこの夫妻は再びローマの教会に戻っていたことになります。「ユダヤ人追放令」がローマ帝国の命令として出された事を考えれば、それは並大抵の覚悟ではありません。
私たちは、パウロという人物を通して初期キリスト教を見るとき、その活動や影響の大きさに目を奪われがちです。しかし、そのパウロより先に聖霊の風が吹いて、キリストの福音の種を世界に広げていったことを、このプリスカとアクラのような存在から知らされます。その風は現代の私たちにも吹き続けています。私たちもまたプリスカとアクラのように、聖霊の風を受けながら、実直に、私たち一人一人に託された使命に仕えてまいりましょう。

      
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