ホレンコの友2024年3月号 

               「これでいい。… 立て、行こう。」
            (マルコによる福音書14章41〜42節)
                      日本キリスト教団栗山教会牧師 森 宏士

 復活祭(イースター)前の「受難節(レント)」の時節に、よく思い出す事があります。

 学生時代、いくつかのきっかけからキリスト教に関心を持ち、聖書や入門書等々を自分なりに随分と読んであれこれ考えこんだつもりで約2年、ようやく、おどおどと教会を訪ねました。1回目の礼拝、すべてにひたすら緊張と疑問でした。2回目の礼拝、説教に完全熟睡…でした。「自分の求める心はこの程度か」、「結局は人の言うひと時の青春の病か」などとガッカリでした。(緊張の糸が何か解けたのかも、ですが)

 十字架刑が近づくイエスの、弟子達との最期の祈りの場面、繰返し眠ってしまう弟子達へのイエスの言葉、「わずかひと時も目を覚ましていられなかったか。心は燃えても、肉体は弱い」(37-38節)が思い出されました。まさか肉体を鍛えよと??でした。

 けれどイエスが弟子達を叱りつけているようにも感じられませんでした。
イエスはひどく恐れてもだえて、「私は死ぬばかりに悲しい」と呻いています。「出来るならこの苦しみの時が過ぎ去るように」と(不可避と知りつつも)懸命に祈り、「しかし御心が行われますように」と苦悩しています。痛ましく余りに切なく、弟子達にも、イエス自身にも、救いがないではないか…と、どんどん迷宮でした。
ところが、この救いのなさこそが、福音書が現している「肉体をもつ生身の人間の弱さ・悲しさ・暗さ」、主イエスがご自身のすべてをささげて引き受けて・担ってくださっているものだったのでした。

 イエスは、起こしてもいさめても、繰り返し眠ってしまう弟子たちに、三度目に言われます。「これでいい。時が来た。… 立て。行こう。」諦められてしまったのではないようです。本当にすべてを受け止めて下さったということです。だから、「立て。(一緒に・最期迄)行こう」だったのです。
この直後に、逮捕されてゆくイエスを見捨てて逃げてしまう弟子たちに対して、それを承知での呼びかけです。するとイエスからの、「私は立ち上がることになる(復活)。私はあなたがたと共に在る、必ずあなたがたを伴って、共に行く」との、更なる約束が込められて聞こえてくるのです。

 そうして、十字架を通して破れと失意に覆われた弟子達や人々が、小さくても、弱くても、助けと希望と慰めをいただきつつ、新しい歩みと教会が生まれ続けてきたのでした。主の顧みと慰めと導きが注がれ続けていることを信じ、心から祈ります。


ホレンコの友2024年2月号    「神との平和、神にある平安を」

                       キリスト兄弟団 美幌教会牧師 菅原秀子

 私たちの教会では、2019年に新会堂建築を行い、翌年から花壇作りを始め、昨年は小ぶりのクロフネツツジやエゾイソツツジなどの花木を植えました。その年の秋、植えた花木をふと見ますと、枝につぼみが芽生えていました。秋の時点で、来春の花を咲かせる準備がすでに始まっている事に少なからず感動を覚えました。それと同時に、これからいよいよ北海道の冬が来ようとしており、マイナス20度近くの寒さや、時には大雪、吹雪もあることですが、この芽吹いた新芽はその厳しさに耐え得るように造られていることを改めて教えられます。
 神様の創造の業のすばらしさに感動している時、マタイ6章30節のみことばが思い出されました。
 「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」そして続く「まず神の国と神の義を求めなさい。」
とのみことばが心に響いて来たことです。
 私は20代の頃、イスラエルのキブツのボランティアに2度、行く機会がありました。私が行ったマーニットキブツには、そのキブツの成り立ちを記録している記念館があり、開拓当時の古い写真が沢山、展示されていました。何もない地を開墾し、最初に建てられた木造の小屋の写真があり、その小屋は私達が訪問した際も現存しており、そのキブツのシンボルのような存在でした。けれども写真の小屋と現存の小屋には、明らかな違いがありました。それは小屋の周りの風景です。
 開拓当時の写真は小屋しか写っていませんが、現在は小屋のすぐ横に見上げるくらいの立派な木が立っており、私たちが日曜ごとに礼拝をささげた場所には、野生のシクラメン(かわいらしいサイズです)が、一面に生い茂っていました。開拓当時は、想像を超えた労働を強いた事と思いますが、今、その地に木々や花々、さらにバナナやアボカドなど作物が豊かに実る地になっていました。
 あれから30数年経ち、今、イスラエルとパレスチナの間に争いが起っています。
この文章が載る頃には、止んでいることを願いますが、昨年のアドベントでは、平和の君なるイエス・キリストはベツレヘムでお生まれ下さったことを改めて覚えました。そのベツレヘムは、現在パレスチナ自治地区の中にありますが、一日も早く、双方の上に、まず神との平和が成されますように、そして一人一人の心の中に、神にあるシャロームが満たされますように。
   「神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。」


ホレンコの友2024年1月号    「今年はきっと良い事が」

                         日本基督教団:野幌教会牧師 福島義人

 「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。」        (詩編121編1〜2節) 
 

 新年おめでとうございます。
今年はきっと良い事が起こる。そんな思いで新年を迎えるようにしています。憂鬱に過ごす人が聖書の「いつも喜んでいなさい、いつも感謝しなさい」を読み、試しに毎朝、鏡を見て笑顔で始めると、神の恵みにあふれた世界に気付き、なんだか楽しくなって人生が変えられたと聞いたからです。
 以前、北九州に住んでいた頃、作家の三浦綾子さんの夫の光世さんを講演に招いた時、車の助手席に乗せ、門司や関門海峡、対岸の巌流島へ案内をしました。車窓からの景色に、終始「なんて美しい山なのだろう、なんて美しい花なのだろう」と小声で感嘆し続ける光世さんの姿がありました。きっと朝、目覚めた時から、そうして晩年を過ごされたのでしょう。後部座席の元秘書の宮島さんは慣れておられたのか、気にも留めておられませんでしたが、私には先に天に召された綾子さんと一緒に、楽しく豊かに歩まれる歌人・光世さんの祈りを覚えました。
 詩編の著者も、遠くエルサレム神殿への巡礼の旅の途中、年のせいか、疲れを覚え立ち止まります。頭を上げると、神の備えられた恵みに満ちた世界に気付かされ、慰め励ましを受けるのでした。
 孤独な運転の中、偶然、ラジオから流れる聖書の話を聞き、慰めと励ましを受けた方も多いと思います。ホレンコのラジオメッセージの働きです。今年65年を迎えますから、私が生まれた年に始まっています。北米の援助も1980年に終わり、そこからは皆様の祈りと寄付だけで続けられ44年が過ぎます。その維持は本当に大変だったと思います。当時、SONYカセットデンスケを抱えて、北海道中を飛び回って各地の牧師の話を収録する石川和夫牧師の姿を想い出します。
 ホレンコに収録に行くと、骨董的な機材に驚かされます。それを愛おしむように大切に使うスタッフの姿があります。経費を抑えるためでしょうが、どの機材も新しくありません。遠くから録音に訪れる人への交通費も謝礼もありませんが、続けるために関係者の祈りと熱い思いが人々を奮い立たせ、この働きを維持させています。
 新しい年はきっと良い事が起こる。遠くの雪山を見ながら、少しだけ機材のリニューアルができればと思いました。どうぞ皆様、良い一年をお過ごしください。