ホレンコの友2023年2月      「苦難のなかでも」

                 日本基督教団札幌中央教会 牧師 岸 敬雄

  
   イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。               (マタイによる福音書14章27節 日本聖書協会 新共同訳) 

 嵐の中で弟子たちは生死の間際でぎりぎりの状態になっていたのでしょう。そのような中で自分たちの師が身近に近づいて来たのです。
 しかし、ここは嵐が吹き荒れる湖の上なのです。舟にも乗らずに古城を歩いているお姿を見た弟子たちが幽霊だと思っても不思議では無いのでしょう。
その様なパニックになっている弟子たちに対して、イエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と話しかけられたのです。
 イエス様の方から語り掛けて下さったのです。私たちがパニックになっている時も、認識を間違っている時もイエス様は私たちに声をかけてくださるのです。
さらに言えば、波を恐れておぼれかけたペトロに対して、イエス様の方から手を差し伸べて下さり、荒波から引き上げて下さったのです。
 私たちに対しても、イエス様は声をかけ、手を差し伸べていてくださるのではないでしょうか。
2月は一年で一番寒い時期だと言われますが、北海道に来させて頂いて5年を過ごさせて頂きましたが、私の居る札幌の中央区では、寒さに中にも日差しの温かさが感じられる日があり、春があと少しでそこまで来ている。必ず訪れることを知らせてくれているような気がしたことが複数回ありました。
現在コロナ禍などで、苦難の中にあるとしても、どの様な苦難の中にあるとしてもイエス様は私たちを見捨てることなく、そしてイエス様の方から「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と告げて下さり手を差し伸べて下さっているのです。
 冬の寒さ厳しさがあるからこそ、木や草が芽吹く春の温かさ、嬉しさもひとしおなのではないでしょうか。
まだ、厳しい冬ではありますが、冬の雪が足りなければ夏に水が不足する事もあります。冬の厳しい中でも、そこから冬期のレジャー産業が生まれたりもします。
 どんなに厳しいと思われる中においても、確かに神様は私たちに手を差し伸べていてくださっていたのです。私たちは厳しい冬を耐えしのぎ春の喜びを知る様に、現在苦難に遭遇しているとしても神様は私たちに救いの手を差し伸べていてくださることを信じて、主による喜びの中で日々歩んでいきたいと望むのです。


ホレンコの友2023年1月号     「平和の主がともにいてくださる」

           イムマヌエル綜合伝道団札幌キリスト教会牧師 蔦田康毅

「どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。」
(第二テサロニケ3章16節) 【新改訳2017@2017新日本聖書刊行会使用】

 

新しい年を迎えました。去年の年明けには、間近に迫っていた「平和の祭典」、北京での冬季オリンピック開幕を楽しみにしていたことが遠い昔のように感じられるのは私だけでしょうか。思い返すと、私にとって北海道に赴任して初めて見る冬季オリンピックは、連日、北海道出身のアスリートたちが活躍されているという報道を誇らしく思ったものです。
ところが、その感動から僅か数日後、パラリンピックの開幕を目前にした2月24日、ウクライナが侵攻されたというニュースが飛び込んできました。その戦いは今も続いており、これまでの双方に多くの犠牲者が出ており、この厳しい状況の中で冬を迎えている多くの方々を案じています。この争いは、世界経済にも深刻な打撃を与えています。
さらに、繰り返される隣国のミサイルの発射のため、Jアラートなるものが何回も出される緊張した事態もありました。なかなか収まらないコロナの感染状況もあり、私たちの心と生活に恐怖、不安、悲しみ、苦しみの影を落としています。「平和の祭典」が遠い昔のように感じられるのは、このような緊張が続いているからかもしれません。
新しく迎えた1年に、私たちは良い年であるように、平和な1年であるように、と願いますが、いったい、どんなことが起こるのか、私たちには予想することもできません。むしろ、混沌とした時代に入ってゆくようなことさえ覚悟しなければならない状況かもしれません。
しかし、聖書のみことばに心を向ける時、私たちは新しい年に何が起ころうとも、揺るがされることのない希望と確信をもって臨むことができます。たとえ、世界の情勢、経済の状況、天候や自然界にどのような問題、混乱が起ころうとも、「平和の主」がともにいてくださるという約束が与えられているからです。その平和の主、神様は「どんな時にも、どんな場合でも」平和を与えてくださる神様なのです。
この一年が何事もおこらない平穏な年である保証はありません。むしろ、平和が乱されるような事態、不測の事態、災いと思われるような事態が起こるかもしれません。しかし、たとえそうだとしても、それは平和を与えるという神様の「どんな時にも、どんな場合にも」という約束の範囲内である、ということは、本当に心強いことではありませんか。私たちと、どんな時にもともにいる、と約束してくださっている平和の主と共に、この一年も歩み出しましょう。