ホレンコ2019年1月号  「新しい年を迎えて」
                        日本福音ルーテル札幌教会牧師 日笠山吉之

新年明けましておめでとうございます。
2019年が幕を明けました。今年は皆さんによってどんな年になるでしょう。神の恵みと祝福に満ちた年となりますように。
 私が所属しているルーテル教会では、新年に決まって歌われる讃美歌があります。『教会讃美歌』49番の「新しい年を迎えて」です。(『讃美歌21』では368番)次のような歌詞です。1節「新しい年を迎えて 新しい歌をうたおう。なきものをあるがごとくに 呼びたもう神をたたえて 新しい歌をうたおう。」2節「過ぎ去った日々の悲しみ さまざまなうれいはすべて キリストのみ手にゆだねて、み恵みがあふれるような 生き方を今年はしよう。」作詞者は、かつてルーテル教会の牧師としてご奉仕された故江口武憲師です。(ご子息の江口再起先生は、昨年NHKのカルチャーラジオ「歴史再発見」で『ルターと宗教改革500年』の講師を務められたのでご記憶の方もいらっしゃるかもしれません)
 その江口武憲牧師が1967年に出版されたエゼキエル書による説教集『望楼に立つ』を、昨年から教会員の方々と共に読んでいます。今から50年以上も前に出版された説教集とは思えないきわめて現代的で、示唆に富み、研ぎ澄まされた御言葉が随所にちりばめられています。たとえば、8章「翻って生きよ」は、次のように始まります。「困難な事態、あるいは不幸な状態、それを解決し、救済するのに、いくつかの方法があるように思われることがある。しかし、解決の方法はいくつもあるわけではない。一つだけである。言葉の最も深い意味において、それを自分の責任として背負うことだけである。その事態を自分の責任として痛切に反省し、自分の課題として背負おうとする。それだけである。そこからおのずと神に祈る姿勢も生まれてくる。生きる道も開けてくる…」。武憲牧師は、クリスチャンが現実の問題に直面すると、はっきりした態度を示さないことを嘆いておられます。具体的なことに何一つ触れず、和解しましょうとか、平和のために祈りましょうなどといったところで、それは何も語らないのと同じだ。否、むしろ語らないよりかいっそう悪いことだ、と。まさに目が覚める思いです。
 今年も教会の内外ともにいろいろなことが起こるでしょう。それら一つ一つをただ傍観者のように見過ごすのでなく、自分自身に問われている課題として受け止めていきたい。