ホレンコの友2021年2月号 「負けて信をとる」 ヨハネによる福音書 16章25?33節
日本キリスト教団:室蘭知利別教会牧師 石川宣道
浄土真宗8代目住職蓮如の生きた時代も疫病が流行りました。手紙の中で「疫病が流行り亡くなる人も多いが、それは驚くことではない。人が生まれたその時から、死ぬ事は定められている事。死は疫病によってもたらされたのでは無く、誰にでも予めあったもの。だからこそ、阿弥陀如来は信心する者を救われるのだ」と書いています。同じ頃、応仁の乱から11年もの乱世の戦が起こり、多くの人が亡くなります。蓮如は本願寺8代ですけれど、彼が受け継いだ時の本願寺は寂れた寺で、自身はその寺にさえ身を残せず各地を転々と回り、随分と大変な人生のようです。
蓮如は苦労する人生の中で、釈迦は「怨憎会苦(おんぞうえく)」、うらみ憎む相手と会う苦しみがあると言い、親鸞は「智者遠離(ちしゃおんり)」、だから知恵ある者はそれから遠ざからなければならない」と言っているのを学びます。蓮如自身は、さらに「無我にて候ううえは、人に負けて信をとるべきなり」と残しました。「私がという思いを残していると、無我にはならない。人との勝ち負けから自ら負けることを選び、信心を得るのだ」と蓮如は言います。蓮如が生きた時代の混乱や、自身が各地を転々としたことから見出したのかもしれません。
イエス様はご自身の事も、弟子たちにも「世には苦難がある」と言います。私達も同様です。しかし「四苦八苦」する人生も、すでに神様の愛を受け、救い主であるイエス様と歩んでいるから、イエス様を信頼し安心して生きていこう、私の重荷をイエス様も担ってくださっているのだ、と福音が宣言されています。
蓮如は「人に負けることで信心を得ること」を説きましたが、私は「神様負けました。イエス様負けました」となることをお薦めします。「神様には敵いません。あなたを信頼し、この身も心もあなたに寄せて生きていきます」、「救い主イエス様、参りましたからキリストであるあなたにお任せします」と。
目に見えないウイルスによって不安は増し、そのウイルスは病だけでなく、人への不信や差別も増幅させているようです。神様も目には見えない存在ですけれど、今日の聖書で、神様があなたをどれだけ愛しておられるか、イエス様もどれほどあなたを大切にされているかを知らされました。小さく頼りない自分自身ではなく、大きな大きな神様の深い愛に負けました、と。自分を包み込む神様の存在に気づいて受け入れていきましょう。 |