ホレンコの友 2021年12月号 「もっと深くクリスマスを祝うために」 基督兄弟団旭川栄光教会牧師 笹川洋史 もうすぐクリスマスです。最高の準備をして、最高クリスマスを迎えたいと思います。もっと深くクリスマスを祝うことを聖書から考えてみます。 @クリスマスをもっと驚く Aクリスマスをもっと思い巡らす 救い主を産んだマリアの反応は、思い巡ら どの家庭でも、クリスマスの飾りつけをしながら、飾り物が示しているキリストの恵みを分かち合うことができたらと思います。クリスマスイブには、教会のキャンドルサービスに参加するのが、定番になればと思います。教会が、最高のクリスマス準備をして、最高のクリスマスを通して、救い主キリストを多くの方々に伝えることができますように。
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ホレンコの友 2021年11月号 「私と聖書の出会い」 かれこれ、もう五十年以上も前のことです。当時高校生であった私は、学校のすぐそばの食堂で、大きな白黒テレビの画面に見入っていました。そのころの記録ですので、ひょっとしたら記憶違いかも知れませんが、画面には、宇宙船アポロの船長が、地球に向かってメッセージを送っている姿が映っていました。そのメッセージの中で、創世記の第一章を引用して語りかけていたのを、今も驚きをもって聞いていたことを思い出します。科学の最先端にある宇宙飛行士が、聖書を語り聞かせるなどというのは、さすがアメリカだな、と思いました。その後しばらくして、生まれて初めて日本語の聖書を手にしました。 | |||||
ホレンコの友 2021年10月号 「今こそホレンコ」 コロナに長いこと悩まされていますし、大雨による災害もひどいことになっています。世界的にも力による支配で大変なことになっています。このような時こそ、聖書の御言葉が本当に力を持っていることを多くの人々に伝えなければならないと思います。ホレンコの働きが注目されます。放送によって全道的にメッセージガ伝えられるという事は素晴らしいことです。札幌でも朝早くに除雪の仕事をしている人がホレンコの放送を聞いて気持ちをナゴまされると言ってくれます。近くに教会がない場所の人たち、病院に入院している人たちが、ホレンコの放送を聞いて慰められていると聞くことによって、力づけられます。しかもこのホレンコの働きが教派を超えて超教派で支えられているということは驚くべきことで、北海道でしかできないことだと思います。世界的にも教派を超えて一つになろうというエキュメニカル運動が進められていますが、いまだ教派はなくなりません。人間の弱さをつくづく思わされます。この超教派という点でもホレンコの働きは続いてほしいと願っています。 | |||||
ホレンコの友 2021年9月号 「ホレンコのはたらき」 「君は君 我は我なり されど仲良き」 | |||||
ホレンコの友 2021年8月号 「大好きなのよ!」 日本ホーリネス教団札幌教会 牧師 土屋勇人 ホレンコの友 2021年7月号 〜♪「あのすばらしい家族伝道をもう一度」♪〜 日本キリスト教団 利別教会牧師 石橋隆広 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒言行録16章31節)
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ホレンコの友 2021年2月号 「負けて信をとる」 日本キリスト教団 室蘭知利別教会牧師 石川宣道 浄土真宗8代目住職蓮如の生きた時代も疫病が流行りました。手紙の中で「疫病が流行り亡くなる人も多いが、それは驚くことではない。人が生まれたその時から、死ぬ事は定められている事。死は疫病によってもたらされたのでは無く、誰にでも予めあったもの。だからこそ、阿弥陀如来は信心する者を救われるのだ」と書いています。同じ頃、応仁の乱から11年もの乱世の戦が起こり、多くの人が亡くなります。蓮如は本願寺8代ですけれど、彼が受け継いだ時の本願寺は寂れた寺で、自身はその寺にさえ身を残せず各地を転々と回り、随分と大変な人生のようです。 蓮如は苦労する人生の中で、釈迦は「怨憎会苦(おんぞうえく)」、うらみ憎む相手と会う苦しみがあると言い、親鸞は「智者遠離(ちしゃおんり)」、だから知恵ある者はそれから遠ざからなければならない」と言っているのを学びます。蓮如自身は、さらに「無我にて候ううえは、人に負けて信をとるべきなり」と残しました。「私がという思いを残していると、無我にはならない。人との勝ち負けから自ら負けることを選び、信心を得るのだ」と蓮如は言います。蓮如が生きた時代の混乱や、自身が各地を転々としたことから見出したのかもしれません。 イエス様はご自身の事も、弟子たちにも「世には苦難がある」と言います。私達も同様です。しかし「四苦八苦」する人生も、すでに神様の愛を受け、救い主であるイエス様と歩んでいるから、イエス様を信頼し安心して生きていこう、私の重荷をイエス様も担ってくださっているのだ、と福音が宣言されています。 蓮如は「人に負けることで信心を得ること」を説きましたが、私は「神様負けました。イエス様負けました」となることをお薦めします。「神様には敵いません。あなたを信頼し、この身も心もあなたに寄せて生きていきます」、「救い主イエス様、参りましたからキリストであるあなたにお任せします」と。 目に見えないウイルスによって不安は増し、そのウイルスは病だけでなく、人への不信や差別も増幅させているようです。神様も目には見えない存在ですけれど、今日の聖書で、神様があなたをどれだけ愛しておられるか、イエス様もどれほどあなたを大切にされているかを知らされました。小さく頼りない自分自身ではなく、大きな大きな神様の深い愛に負けました、と。自分を包み込む神様の存在に気づいて受け入れていきましょう。 |
ホレンコの友 2021年1月 「十字架の言葉」 日本基督教団中標津伝道所牧師 石垣弘毅 ホレンコをお聴きの皆様、新年明けましておめでとうございます。と言っても、今、私がペンを取っているのは2020年12月1日、アドベント1週目を迎えた日の朝です。この年を振り返るとコロナ問題で明け暮れた一年でした。そして今もその渦中にあります。一体、これからどうなっていくのでしょうか。不安です。 アドベントは真の光、救い主、神の御子イエス・キリストが私たちの暗闇の世界に来てくださる喜びを待ち望む希望の時です。それはワクワクする楽しい時であって欲しいと思います。しかし、そうはならない現実があります。こうやってペンを取っている今も、ニュースが飛び込んできました。私の住む道東の小さな町、中標津町で昨夜、火事があり、6歳と4歳の男の子が亡くなったという知らせです。今、ご両親はどんなにか深い悲しみと絶望の中にいることでしょうか。本当に救い主は来てくださるのでしょうか。私たちが宣教する喜びの福音はどこにあるのでしょうか。 この世の理不尽な現実の中で嘆きと問いを神様の前に差し出しながら、福音宣教者パウロの言葉を聴きたいと思います。 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(コリントの信徒への手紙一 1章18節) 世を救うために来て下さった神の子イエス様が神の助けを一つも得ることなく無残な十字架の死を遂げられたという事実、ここに「十字架の言葉」があります。人々から理解されず排除され、呪いを受けながら長寿を全うすることもなく人生を終える、そんなイエス様のご生涯は幸いであるなどと、私たちには思えないかもしれません。 しかしパウロは、このイエス様のご生涯こそが神の福音であり、私たちの生きる力、喜びと希望の源泉、神の力であると言うのです。それは主イエスの十字架の出来事は死で終わるものではなく、新しい命、復活の命をもたらし、死と罪を滅ぼす神の救いの出来事へと導く土台の石であるからです。 コロナの問題を始め、私たちに聞こえてくる悲しい出来事の数々、それはまさに十字架の言葉ではないでしょうか。この十字架の言葉は死と呪いで終わるものではないはずです。神様が用意してくださっている新しい創造、いのち、救いの出来事に信頼しつつ、祈りのうちに希望をもって新しい年を歩み出しましょう。 |