ホレンコの友12月号 「闇は光に勝たなかった」
                 日本キリスト教団札幌北部教会牧師 久世そらち

こどもの頃、毎晩ふとんに入ってから寝付くまでの時間がいやでした。夜の暗さが怖かったのです。こども部屋の片隅に、何かがひそんでいるようです。よく見えない物陰で何かが動いているような気もします。ぼんやりと見える天井の木目が不気味な顔に見えてきます。ぎゅっと目をつぶりますが、そうするとまぶたの裏に、苦手な怖いものたちがかえって鮮明に次々とうかびあがってきます。
 けれども朝になれば、見慣れた部屋は何も怖くはありません。片隅にあるのは、見慣れた服やおもちゃ。物陰でひらひらしているのはただの紙くずです。天井のもようも、人の顔とは似ても似つかない節穴ばかりです。目をつぶって、わざと怖いものを思い出してみても、昼の間は平気です。あれほど不気味で恐ろしく感じたものが、明るい光のもとでは、あっけないほどつまらないものでしかありませんでした。
 12月に入ると街中でもクリスマスの飾りつけが目立ってきます。クリスマスには、光の飾り、イルミネーションがつきものです。クリスマスは、光の祭でもあります。暗く寒い冬の夜に光をともして、闇を照らす希望の光をみつめるのです。
 クリスマスは、神の子キリストがこの世界に来られたことの祝いです。暗いこの世を、なお神が見捨てず、救い導いてくださる希望の祝いです。光はその希望の象徴です。
 しかし、それだけではありません。光は、闇にまぎれて人を脅かすものをあばきだし、無力にしてしまうことができるのです。光は、闇の力に打ち勝つ神の力の象徴でもあります。闇がどんなに濃いものであったとしても、神の救いのみわざに勝つことはできないのです。
 今の時代、わたしたちは不安に囲まれています。先が見通せない暗さの中、何かがひそんでいて今にも襲いかかってくるような不安と恐れがあります。次々に恐ろしいものの幻がうかんできます。しかし、神がもたらしてくださる光に照らされるとき、あれほど怖く思えたものも実は恐れるに足りないものであったことが明らかにされ、不安と恐れは消し去られます。光は、暗い時代を生きる勇気と力を与えてくれるのです。
 御子キリストは、闇の力をしりぞける光としておいでになりました。闇は光に勝たなかった不安と恐れを取り除く御子イエス・キリストを待ち望んで迎えましょう。

ホレンコの友11月号 「天に登録された喜び」
                  インマヌエル恵庭キリスト教会牧師 小田 満
 
72人の弟子たちが伝道旅行から帰って、主イエスに各自の手柄話を喜んで報告しました。その時、主が言われたことは「そのようなことを喜ぶのでなく、あなた方の名が天に書き記されていることを喜びなさい」(20節)でした。
日本国内では、誰でも誕生後2週間以内に出生登録されます。それ以外にも、もれなくいろいろな公的登録がされています。もし登録からもれていると、国民としての資格を失います。こういう訳で、だれでも誕生すると戸籍登録、死亡後は埋葬登録がされることになります。
ところで、黙示録には「死者たちは、これら(命の書)の書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた」(黙示録20:12)「小羊の命の書に名が書いてある者だけが(天の都に)入れる」(黙示録21:27)と記されています。
ある方のお子さんは誕生後3日目に亡くなりました。そのためその子の戸籍登録はありません。しかし、その子の両親の心には、彼の誕生にまつわるすべての記憶が登録されています。
神の全知識には、すべての人の名前とその生涯は登録されており、その行いに応じて裁かれるのです。
しかし「小羊の命の書」に名が書いてある者だけは、別です。かつてイスラエルでは罪を犯した者は小羊を殺し、その血によって罪の赦しを与えられました。ところが「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」(ロマ3:23)。神は御子イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)としてくださいました。  
ですから、小羊の命の書に名前のある人は、御子の流された血潮によって罪が覆われているのです。その人は「永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」(ヨハネ5:24)のです。
元東大総長であり経済学者であられた矢内原忠雄先生は晩年、死の近いことを知り、苦悩されたそうですが、ご自分の業績ではなく、ただ罪を悔い改めて、キリストの十字架によって救われたことにより平安を得られたとのことです。
私たちの名が天に記される条件は、罪を悔い改めて小羊の血の贖いに与ることです。それが天に名を登録された者の喜びなのです。
ホレンコの友10月号 「昨日・今日・明日を担う福音」
            日本キリスト教団小樽聖十字教会牧師 小栗昭夫 

数ヶ月も前のことなのですが、未だに心から離れない場面があります。それは、おおぜいの人々が行き交う街中で、若者たちにインタビューをしている場面でした。そこで、質問者は20代前半の若者たちにマイクを向けて次ぎのような質問をしました。「日本は、第二次世界大戦のとき、どこの国と戦いましたか?」。他の事をしながら、聞き流す程度でいたのですが、あまりにも馬鹿にした質問だなぁ、と正直感じておりました。ところが、マイクを向けられた若者たちが、大真面目で「…中国?」「…韓国かな?」「…インドか?」と、応答するのを聞いて、私は飛び上がらんばかりに驚きました。質問はさらに続き、「8月15日は何の日かわかりますか?」との問いに対しては、戸惑いながらも「…分からない」との答えが返ってきたのでした。勿論、テレビのことですから、大勢の若者への質問の中から、こうした返答だけを集めて放送していたのでしょう。しかし、私にとっては、それよりも、事実としてこのような応答をする若者がいることが驚きでした。「歴史は現在と過去の対話である」と述べた歴史家がいますが、彼らにとっての「過去」とは何かな、と思わされると同時に、現在を生きている彼らの、未来に対しての不安にも似た思いが湧いてきてしまったのでした。他方、「これは、私自身がすでに過去思考型の古い人間になってしまっている証拠なのだろうか」との、複雑な思いすら心の中をよぎったのでした。
歴史という視点から見るなら、ホレンコは今年で設立55周年を迎えます。その中で、ホレンコの過去から現在への歴史を思うとき、ホレンコが担ってきた役割、その使命は本当に大きなものであったと、今、改めて思わされています。しかし、諸般の事情、特に財政的な事情により、働きの範囲を順次縮小しつつも、尚、継続して来ました。現在は、機関紙でご案内の通り、日曜日朝のラジオ放送「喜びへの扉」と毎日送られている「テレホンメッセージ」、それに、札幌の一部の地域での放送ではありますが、二つのFM局から流されている「光の泉」の働きは、55年間の積み重ねと共に今も大きな役割を担っているものと確信しています。実際、放送を聞き、お話し下さった先生の教会の礼拝に出席しました、との報告を頂くことがあります。キリストの名によるホレンコの福音放送こそ、歴史を貫いて、その連続性の中を生きる人々への語りかけとして、「きのうも、きょうも、いつまでも変わらない」いのちの言葉の担い手として歩み続けていると信じています。この間の皆さまの貴いお支えとご協力を心より感謝しています。(ホレンコ幹事)
ホレンコの友9月号 「イシュマエルとイサク」
            苫小牧バプテスト・キリスト教会 牧師 田代 仁

「アブラハムには七人の子」という歌がある。幼稚園のお遊戯などに良く用いられたので、ご存知の方も少なくないだろう。だが、実はアブラハムの子は七人ではない。おそらく「七人の子」とは、サラとの間に生まれたイサク、そしてケトラとの間に生まれた六人の子どもを指しているのであろう。しかし、アブラハムの最初の子として生まれたのはサラとの間に生まれたイサクではなく、ハガルとの間に生まれたイシュマエルである。サラの女奴隷であったハガルだが、なかなか子どもが与えられないサラがいわば苦肉の策としてハガルによって子どもを得ようとし、そしてイシュマエルが生まれた。ところがサラは、その後にイサクが誕生すると今度はハガルとイシュマエルが疎ましくなったのか、二人をアブラハムの下から追放するように仕向けていく。そしてアブラハムも苦悩の末、サラの言うとおりにハガルとイシュマエルを追放してしまう。ハガルとイシュマエルからすればアブラハム、サラ、そしてイサクは、許せない存在であったろう。
 この出来事は、なんと現代史にまで影響を及ぼしていると言える。アブラハムの宗教的伝統を受け継いだとされているのが、ユダヤ教とキリスト教、そしてイスラームである。ユダヤ教とキリスト教はイサクの系譜であり、イスラームはイシュマエルの系譜(アラブ人)であるとされている。幼いころは共に遊んだ兄弟であったイサクとイシュマエルの間に生じた溝は、いつしか埋めようもないものとなり、現代ではイスラエルとアラブ諸国の対立となって今も争いが続いているとも言える。
 だが、このイシュマエルとイサクが互いの行き違いやわだかまりを超えて一つのことをなしたことがある。父アブラハムの葬儀(創世記25章)である。イサクはアブラハムの家の家長としてイシュマエルに遣いを送ったのであろう。そしてイシュマエルも憎しみを超えてイサクと共に父を葬っていく。アブラハムにとって、長年の心の重荷を降ろせた瞬間であったろう。そこに福音がある。
 人が愛する者の死に立ち会う時、単にその人の命の終わりに立ち会うのではなく、むしろその人の生そのものに立ち会うことになる。その大切な時を通して私たちは、その人から掛替えのない何かを受け取っていくのだ。イエス・キリストはその死を通して私たちに命を与えてくださる。私たちはその大切な時に招かれているのである。
 
ホレンコの友8月号 「なぜ無駄なことを」
                          キリスト兄弟団札幌栄光教会牧師 笠見 滋 

「すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。『何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。』そうして、その女をきびしく責めた。」(マルコ14:4,5新改訳)
 主イエスがまもなく十字架にかかられるというある日、ベタニヤで晩餐会がもたれました。そのときマリヤという女性が、石膏のつぼに入った時価数百万円のナルド香油をありったけ主に注ぎ、自分の髪の毛で御足をぬぐったので、家中が香りでいっぱいになったと記されています。ところがそれを見た何人かの弟子たちがひじょうに憤慨し、マリヤをきびしく責めました。その際、彼らが言った言葉が冒頭の聖句です。
 一見すると、彼らの非難は至極当然のように聞こえます。これだけの金があれば、貧しい人々がどれだけ助かるか、それを無駄にしてしまって、おまえには神のお心がわからないのか、というのですから。
 しかしここで、はからずもあることが現されました。それは、弟子と自認する人々の心深くにひそむ、盲目と欲望の姿です。彼らには、何年も主イエスと起居を共にし、そのおことばとなされるわざの数々を見聞きしながら、何かが見えていませんでした。その何かとは、神そのものであるお方が天の御位と栄光を捨て、いやしき人となり、貧しさの底を歩み、まもなく呪いの十字架につき、父なる神と人々から捨てられようとしている、という事実です。ですから、弟子たちにとっては目の前の師は、神たるお方どころかナルドの香油ほどの価値もなかったのです。このとき、心の中にあるその本音が思わず出てしまったのでした。
 放送伝道とはbroad(広いところに)cast(種をまく)であり、継続のためには、主を愛する愛のゆえに、無駄にみえることを喜んでしたベタニヤのマリヤの献身が求められます。偉そうに書きましたが、私自身、「ホレンコの友」を受け取り、スタッフ諸氏の御苦労を見るたび、マリヤと弟子たちの姿を思い浮かべながら、聖化へのチャレンジを受けている気持ちになります。現代は無駄をはぶき、効率、効果が絶対的に優先される社会、ある意味で聖書と真っ向から対立する社会であって、神の愛と御子の謙卑、信仰者の神に向う献身を無駄な事と嘲笑します。キリスト者が純真な信仰を持って生きるのに、なんと困難をおぼえることでしょう。しかし忘れてはいけません。あのとき、マリヤをいちばん非難したイスカリオテ・ユダ(ヨハネ12:4〜6)は、やがてどこに落ちて行ったのか。そして、彼女のなした行為は、なぜ今なお世界で語り続けられているのか、ということを。
          (ホレンコ幹事)
ホレンコの友7月号 「私たちと共にいるイエス様」
                          日本キリスト教団:室蘭知利別教会牧師 石川宣道
                            
かつて代務牧師として1年間お付き合いをした教会から、90周年の式典に招かれました。そこには3代目の牧師と4代目の牧師、そして私と現任牧師、加えて3代目牧師の息子であり当教会で生まれ育った出身牧師と、5人の牧師が揃うことができました。さらには、その教会には初代牧師の娘が教会員としており、「教会は90周年、私は91(才)になりました」と仰っていました。
 「このような形で集まるには100周年ではなく、今」との声に、確かに、と思いつつ、受付に置かれていた教会報を読むと「来るべき将来の『教会史』編纂に用いるため」と会員や引っ越された旧会員の思い出が連載されていることを知りました。今この時を捉えつつ、これまでの歩みを留め、また100周年に向けた思いを語り合う式典でした。もちろん困難や苦労を伺う話が幾つもありましたが、教会の導き手である神様へのこれまでの感謝と、これから先も神様を信頼しお委ねしていこうと、信仰を確かめる機会となりました。
 苦労の無い教会はありません。また人の力には心許無さも含まれます。私は「課題がある」と言えば大仰に、「困難が…」と言うと大きな壁があるように感じますが、苦労があると言えば、大変さはあっても乗り越えていく余地があると、少し気を楽にすることができます。そして復活のイエス様の言葉「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」を思い起こします。
 弟子たちはイエス様を、「この方こそ神様から使わされたメシアである」と信じましたが、無惨に敗北する十字架刑の死を見て逃げ隠れ、これまでの関わりを打ち消し、否定しました。そんな弟子たちが「神様はキリストを死者の中から復活させた」と力強く語り始めるのです。元は漁師であったり、田舎暮らしの者が、学者や祭司にも劣ることのない確信を持ってイエス様の復活を語り、今まで恐れていた権力者にも屈することなく「イエス様こそ真のメシアである」と告白しました。弟子たちのあやふやな信仰は、十字架と復活を通して変えられ、確かな信仰が生まれたのです。
 弟子たちの生き方の不思議な逆転、それは復活のイエス様と出会うことで起こりました。救い主と信じたイエス様の最後が神様に見捨てられ、十字架の死で終わったのではなく、むしろ神様は常にイエス様と共におり、その生と死を受けとめ、永遠のいのちである復活へと変えられたことを知ったのです。弟子たちは、イエス様が今も救い主として存在し続けていることを知り、この喜び(福音)を伝えずにはいられませんでした。それはイエス様の手足として働くことであり、イエス様に代わって神の国の業を担うことでした。
 イエス様の約束「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」は、弟子たちから私たちに受け継がれ語られ、私たちの生き方を支えているのです。

ホレンコの友6月号「福音の種をまき続けよう」
             
日本ナザレン教団札幌教会牧師  古川修二           
 
去る4月28日、筆者に洗礼を授けてくださり、神学校に送り出してくださった前国立ナザレン教会牧師の帆足誠先生が83年の地上の生涯を終えて天の故郷に帰りました。高校卒業後長崎県平戸市から上京し、東京で出会った恩師で、牧師としての最初の赴任地は、私の故郷の平戸教会でした。国立教会牧師を引退され、感謝を伝えるために訪問したときのことです。先生は懐かしそうに、平戸での出来事を話し始めました。「平戸の町角で神学生たちと一緒に路傍伝道をしたことがあるんだよ。たしか平戸警察署前の空地だった」と。警察署前の空地とは、私の実家の真ん前です。さらに先生は「一人で猶興館高等学校の前で伝道チラシを配った。いつも受け取る人が少なくてね、受け取っても道に捨てる生徒が多くて、捨てられたチラシを拾い集めて帰ったよ。でも、その高校出身の君がキリストに救われ、伝道者になってくれたことが嬉しい」と語りました。先生には国立教会で8年お世話になり、それからも同じナザレン教団の牧師として30年近く共に歩ませていただいていたのですが、初めて聞く言葉でした。後日、故郷の母に聞くと、「よく覚えている」と言うではありませんか。そして、その当時帆足牧師のそばで路傍伝道を手伝った神学生の一人は札幌ナザレン教会の前牧師である久保木勁先生でした。
伝道の書11章1節に「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」6節に「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである。」(口語訳)とあります。様々な解釈が可能ですが、人間には後のことは分からないが、すべてのことが神の御支配の御手の中にあるのだから、今あなたにできる伝道の業を、心を込めて行いなさいという勧めではないでしょうか。
帆足誠先生はナザレン教団の中では、長年放送伝道の働きを担い続けた方でした。今日まで続けられていたホレンコの働きに感謝し、その一つ一つを主が働かせて益として、福音を前進させてくださることを祈ります。たとえ、後の日の実りを目にすることが叶わないとしても、福音の将来の実りを望み、祈りましょう。帆足先生の愛誦の聖句の一つは創世記50章25節でした。ヨセフがその臨終で語った言葉です。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携え上ってください。」斎場で、先生の骨を拾いながら、先生がなしてきたこと、語ってきたことを思い起こし、主に感謝をささげました。そしてヨセフが主にあって夢を見続けたように、将来への夢を、私もまた見る者でありたいと願い、祈っています。 (ホレンコ幹事)             
ホレンコの友5月号 「祈りの手があげられますように」
                    札幌聖書キリスト教会 主任牧師 井口 敏明
      
防音扉を閉めると、シーンとした空間が広がり、たちまち心が緊張感に包まれる。「それでは、マイクテストをお願いします。」とホレンコ・スタッフの方の声が優しく響き、ラジオ放送のメッセージ録音が開始される・・・。用意した原稿を読みながら快調にマイクに向かって語っていると、「○○のところから、もう一度お願いします。」との声が耳に入った。原稿を棒読みして、意味が通じ難くなった語りかけをNさんは聞き洩らさなかったのであった。これは、ある時のホレンコで録音をした時の様子である。私は、香川県高松市で11年間教会に仕えていた時も、ラジオによる福音放送のメッセージ録音に当たる経験があったが、録音をする度に、緊張感を味わっている。
イスラエルがアマレクと戦っていた時、モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になっていた。モーセの手が重くなったのを見たアロンとフルは石を取り、それをモーセの足もとに置き、モーセはその上に腰掛けさせた。そして、アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それゆえ、モーセの手はしっかりささえられたので、ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破ることができた。(出エジプト記17章11〜13節)
 ホレンコの録音室で、録音に当たる牧師たちの困難は、モーセの手が下がっているのがアロンとフルの目に映ったように果たして見えているだろうか・・・。そんな問題意識をもって録音の光景をお伝えした次第である。
 ホレンコによる福音放送の働きは、教会による宣教の業であることを覚える必要を痛感している。それゆえ、宣教の戦いに勝利がおさめられるために、主の御座の上の手が伸ばされる必要を示される。ホレンコのために祈りが捧げ続けられなければならない。
ホレンコでメッセージ録音に当たる牧師のために祈りの手が、録音に当たるホレンコ・スタッフのために祈りの手が、福音放送を聞いて教会に導かれる人のために祈りの手があげられる必要があるのではないだろうか。
 どうしたら、私たちはホレンコのための良き祈り手になることができるだろうか。最も良い近道は、ホレンコの放送を私たち自身が聞いて、私が良いリスナーの一人になることであると感じている。
ホレンコを聞く耳が、主によって開かれるよう共に祈りたい・・・。
ホレンコの友 2014年4月号「見えるようにして下さい」
                   日本キリスト教会札幌白石教会牧師 斎藤義信 

子どもたちの学校の教科書選びに対しても政府が口を出す方向性が示されました。それ以前から自分達に都合のいいように憲法まで改正しようとする動きがあります。公共団体であるはずのNHKの会長のおかしな個人的見解が堂々と語らえている現状があります。都知事選以来原発推進派が息を吹き返したような動きが見えます。私たちを取り巻いている現状は、どんどんおかしくなっています。私にはひたすら暗黒に向かって歩んでいるとしか思われません。このような状況の中にあって私たちは何を見ているのでしょうか?実際には何にも見えていないのに、見えているつもりになって、あれをしなければならない、これをしなければならないと、せっかちに動き回っているだけではないでしょうか?
 十字架にかかられる前のイエスがエリコの町で、物乞いをしなければ生きていかれない一人の盲人をいやされた記事が、マタイにもマルコにもルカにも記されています。イエスの前に連れてこられた盲人はイエスへの全面的な信頼のうちに自分の一番して欲しい事として、「見えるようになりたい」と申し出ました。この盲人の切なる願いをイエスが聞き入れて下さって、盲人がいやされ見えるようにされました。
 この盲人の姿は私たちの事です。この時代の中で、私たちは何にも見えない状態に置かれています。それなのに、あれも欲しい、これも欲しいとあくせくしています。本当にして欲しい事を一つにしぼれているでしょうか?まず私たちがしなければならない事は、たくさんあるしたい事、欲しいものの中から一つにしぼる事です。
 たくさんありすぎて到底一つにしぼれないと言う人も出てくるかもしれません。でも「見えるようになりたい」という一つにしぼって、この「見えるようになりたいのです。」という切なる願いを、イエスに願う事が最も必要な事です。イエスはこの願いにこたえて下さる方です。
 どんな時にも聖書の御言葉に教えられていきたいものです。聖書の御言葉をより多くの人々に伝える働きをしているホレンコの働きが少しでも長続きして欲しいと願っています。    (ホレンコ幹事)
ホレンコの友 2014年3月号「空の鳥を見よ」
                日本聖公会新札幌聖ニコラス教会 司祭 池田 亨

聖ニコラス教会に隣接する「もみじ台通り」の街路樹はナナカマドです。冬、ナナカマドの赤い実は何回も凍結と解凍をくりかえし渋味がぬけ、野鳥たちの貴重な食べ物になります。
 観察していると、ヒヨドリ、ツグミが実をついばんでいきます。ウソのオスなどは「わたしの朱色のネクタイと同じ色でしょ」と言わんばかりにジッと枝に物怖じせず止まっていて、ときどき思い出したように実をついばんでいます。
 圧巻は、キレンジャクの群れです。頭に冠の羽を持つこの美しい野鳥は扇状の尾羽の先端が鮮やかな黄色なのです。とても警戒心が強く群れで行動します。バーッとやってきてパーッと去っていくという感じです。今回観察できたのは、七、八十羽の群れでした。キレンジャクは群れで同時行動をとります。その飛翔力は目をみはるものがあります。観察するには難しい野鳥なのですが、ヒリヒリと囁くような鳴き声は、この季節ならではのもので、わたしにとって冬の楽しみの一つです。
考えてみると、キレンジャクのような警戒心の強い野鳥が、あえて危険をかえりみず街路樹の実を食べにくるということは、この時期、よほど食物の欠乏があるからでしょう。
 わたしは、試しにこの完熟のナナカマドの実を食べてみたのですが、酸味が強く、確かに果実の風味はあるものの、苦味が口にのこりとても人が食べられるものではありませんでした。
 わたしは、この小さな実験から、きびしいさまざまの制約された条件のなかで、野鳥は懸命に生きていることを、ほんの断片ですが知り得たのでした。

 主イエスは「空の鳥をよく見なさい。‥‥‥」(マタイ福音書6:26)と教えられました。
 そのことは、わたしたちに視点をかえてモノゴトを見る目をうながします。象徴的に言えば普段は気にもとめない、小さな「いのち」に立ってモノゴトを見る目です。自然においても、社会においても、教会においても。そこにはきっと当たり前だと思っていたことへの驚きと反省、気づきと感謝があるはずです。
 「‥あなたがたは‥‥価値あるもの‥」と宣言されるイエスの恵みによって気づかされたのです。   (ホレンコ幹事)
ホレンコの友 2014年2月号「福音放送の継続を祈って」
                日本メノナイト白石キリスト教会員 押切 眞一

私たちは、ともすると目に見える現実がすべてであり、目にみえないものは不確実なものと思ってしまう弱さを持っています。ですから、目の前の現実に一喜一憂して失望することも多々あります。私たちの生活において、肝心なことほど目に見えないのではないでしようか。
イエス様は「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者はみな、そのとおりです。」(ヨハネの福音書3章8節)とおっしゃいました。風は目に見えませんが頬に当たると爽やかに感じます。電波も目に見えませんがラジオを通して心に伝わります。
ホレンコの目的は、北海道のクリスチャンの協力でまだキリストを知らない人たちにマスコミで福音を伝え、その人たちがキリストを受け入れ信仰のまじわりに入るように働くことです。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(テモテ第二4章2節)
この働きは1959年から今日まで54年間、毎日曜日HBCラジオ番組ホレンコ「喜びへの扉」で広い北海道のすみずみまで福音が伝えられています。
多くの方がキリストを救い主として受け入れることが出来ました。実に神様に祝福された大切な福音放送です。道内には教会がない市町村が多くあり、教会に通えない人々も大勢います。ホレンコで語る牧師のメッセージや信徒の証、讃美の福音は聞いている方の心に慰めを与え、癒す力があります。家事で多忙な主婦、長距離運転のドライバー、農作業中の方、漁師、止むをえなく入院加療中の方、学生等神様を求めている方、悩みを持っている方、苦しんでいる一人ひとりの心に語りかけてくださっています。
まだまだ主の恵みを知らない方や教会に行ったことのない方がいます。ホレンコ幹事のひとりとして祈りの緊急課題は、高額電波料が満たされ一年でも長くホレンコ放送が継続されることです。ここ数年社会経済の悪化、献金者の減少により献金が右肩下がりとなっています。更に、高額電波料で財政状況はピンチです。皆様方の更なるお祈りとご支援をお願いいたします。福音放送の灯が消えることがないように祈りつつ・・ (ホレンコ幹事)

ホレンコの友 2014年1月号 「新年もまた、希望」
                  日本バプテスト連盟 室蘭バプテストキリスト教会牧師  齋藤 隆

新年あけましておめでとうございます。 先月、私たちはクリスマスの祝いをしました。
クリスマス、それは私たちの救いのために御子がこの世に遣わされ、私たちはその喜びを毎年かみしめるとともに、この世の完成のために再びおいで下さる主を期待と緊張を持って待つときです。その余韻も冷めないうちにすぐに新年を迎えます。と申しましても、私たちの生活を取り巻く状況は、年が改まっても誠に厳しいものがあります。国際政治情勢の不安。台風による多大な風水害・もうすぐ3年になる東北の大地震・大津波の天災。放射能汚染の人災。景気低迷による雇用不安など。さらに個々人の場合、職場・学校・家庭における人間関係の緊張や葛藤などなど。
 醒めた眼で見ますと、私たちの在り方は、いつも何らかの不安・緊張の課題を背負って生きています。この課題が全くなくなることはありません。私事になりますが、私は還暦を過ぎて久しいのですが、いまだに課題を背負っておろおろしながら、生き、生活しています。私が子どものとき、祖父や父がいつも平然とした態度で生きていることを、今懐かしく思い出しています。それは大人そして老人になれば、いかなる状況にも泰然として対処するものだ、と考えていたことです。しかし、私が今、祖父の年齢近くになり、分かったこと、それはあの平然とした態度は子ども向け・孫向けのポーズの一面があったということです。子や孫たちに余計な心配を与えないためだったのでしょう。祖父は、経験に助けられたこともあり平静を装うものの、やはり内心、多くの不安・課題を抱えて立ち往生
を幾度もしたことでしょう。
『伝道の書』は記します、「神のなされることは皆そのときに適って美しい」(3章11節)。
この御言葉に関連して、キルケゴールは言います、「人は生を後ろ向きにのみ確実に理解することができる。しかし、人は前向きに生きる必要がある」と。確かにそう思います。
私たちは今、目の前にある状況に対して不安のなかに「希望」を持って対処することが赦されています。主イエスは今日も招きます、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われ、牧草・永遠の命にありつくであろう」。主に祈りつつ希望を持ってこの新しい年も進みましょう。